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エリク・エリクソン

エリク・エリクソンは、人間の精神の発達には8つの段階があるというようなことを唱えた方。

 

私はこの方の「ライフサイクル、その完結」という本に偶然出会い、そしてとても衝撃を受けた。

この本に出会ったきっかけは、経済学科でも履修できる程度の心理学の講義でざっくりと記憶に残っていた程度の「アイデンティティの確立(自我同一性)」というもの、これに対する私の理解と、少なくない著名な方々のおっしゃる解釈にはどうも隔たりがあるんだよなぁと疑問に思ったことだった。

それでいっそちゃんと読んでみようかと思い立ち、検索して出てきたお名前の方の本を、近くの三省堂で物色して手に取った。

 

ウィキペディアでも出てくるように、この方の代表的な主張は「ライフサイクル論」というもの。

しかし私がこの本で何よりも衝撃を受けたのは、人間というのは心と体と自我の3つがセットになって発達していくという部分だった。

心理学などそれまでまともに勉強などしてこなかった私にとって、精神の発達が体の成長とともにあるという部分がとても新鮮だったんだ。

 

それまで私は漠然と疑問に思っていたことがあって、それは「男性ホルモンが強いと禿る」という話し。確か当時の仕事先で先輩がそのようなことを言っていたのがきっかけだった。

何故、男性ホルモンが強い人は禿げ、女性ホルモンが強いと禿ないのだろう。

ままざっくりと、人間というのは大事なところに毛が生える。それも必要な段階になると。

つまり、男性というのは歳を取ってくるともう脳(頭)など必要が無くなる、という事なのかもしれない。などと薄らと考えていたんだ。

 

そのような本当に漠然とした下らない話しと、このエリクソンが自分の中で一気に繋がり始めた。

 

そしてまた、このエリクソンの本で自分なりに拓けた部分があって、人間はそのポテンシャルというか、構造上というか、とにかく最初から社会性を帯びた生き物として生まれてくるという部分。

 

精神の発達は大まかに言うと、人間がその生活範囲というか、社会生活の範囲を拡げていくのに伴って、精神構造は発達していく。

ライフサイクル論でいうと、人間の精神構造はその対象がどんどん大きくなっていく。

最初は母親との関わりから、仕舞には世界や人類全般にまで拡がっていく。

 

要するに人間の精神構造の発達というのは、体の発達や社会環境の変化に合わせて社会性を獲得していくように発達していくということ。

精神の発達が、そんな体とか立場に不相応な状態であると、きっと人は何らかの支障をきたすのであろう。

 

一体何に感心してるのだろう?と思われるだろうか。

このような話しを「知識」としてではなく、漠然と自分というか、日常生活のレベルで考えるとき、普通は精神は精神、体は体、自我は自我、それぞれ別個で考えてしまいませんか?

これらは全て関係し合っているのであって、それぞれ別個には成立しないという点、それが何よりも感心させられた点なんです。

 

 

 

そして最近の免疫学というか、主に人間の神経面や免疫面において、どうやら人間というのはその生まれ出る環境とか状態で、その環境で生きて行けるような体の構造を獲得できるらしいという話しを目にした。

生まれ持った遺伝子だけではなく、生まれ出る環境で構造が変わるようにできている。

 

遺伝子は遺伝子として、各自が受け継いで生まれ持ってくる構造であるにせよ、生まれ出てからさらに、その環境なり状況なりのもとでちゃんと生きて行けるようなメカニズムまで備わっている。

 

人が動物を見るように、それと同じように、その生物の習性や環境、状況に合わせて、ちゃんと必要な物がメカニズムされているんだ。

 

難しいことなどないんだ。

人間だってちゃんと当たり前に、その他の生物と変わらないじゃないか。と思った。

ここまでは。

 

大きな違いはきっと自我の部分なのだろう。

その辺をこのあと掘り下げていきたいが、今日のところはとりあえず、冒頭で触れた「アイデンティティの確立」に関する認識の違いについてだけ触れておきたい。

 

少なくない著名な方々は、これをどうやら「大人として自分は何をやっていくべきか、を見つけること」といったような、あたかも性格とか精神の発達というものとは違う種類のもののように語る。

これはあくまでも精神の発達とか精神構造の獲得のような話しの中にあるにも関わらず、ここにきて急に人生論とか志のような話しになってしまう。

私が漠然と感じていたこの「アイデンティティの確立」というのは、「自分が思う自分と社会に存在する自分が、同じ自分として自分の中で一つになること」というようなものだ。

アイデンティティの確立」は日本語訳では「自我同一性」と言われるし、このほうがよっぽどしっくりくる。

 

そしてある学者さん(覚えていない)は「自我が肥大化している現代においては、アイデンティティの確立が一層困難になってきている」と書いていた。

どうやら、この学問においては、優秀な自我は決して望ましい能力とは言えないようだと理解した。

 

学術は学問ができる人ほど優秀、ごくごく凡人な私は、そのように認識してきたんだけれど、どうやらそうとも言えないのではないか?と思い始めた大きな出来事だった。